オンライン塾を開設したきっかけ

 私、中高生を相手に学習指導をして45年になります。つい1週間前(2020年5/5日現在)に看板を下ろしました。最後の教室は、高千穂峡など観光スポットの多いところで、2階が居酒屋になっているビルの一階の15人程度が収容できる小さな教室でした。年齢が年齢ですから、大きく経営する野心もなく、学習塾のない高千穂で身体が動く間は山間の子供たちの学力向上に少しは役に立つかな、という気持ちで週3回ほど、延岡の自宅(と言っても高千穂より山あいで、24時間沢の音が聞こえる、余生を過ごすには素晴らしいところです)から通っていました。

 大きく事態が動いたのは、2月27日の安倍首相の一斉休校の要請です。塾も学校に準ずるものという思いのほかに、中国人観光客も多く、上の居酒屋に家族連れ5~6人で上がっていく光景もよく目にしてましたし、タイミングよく中3生も1週間後には入試があり、残る生徒も5~6名だったこともありすぐに1ヶ月の臨時休塾を決めました。

 3月の1ヶ月、久しぶりに何もしない日々が続く中、毎日テレビを見ながらコロナの情報を嫌というほど耳にし、その中に『テレワーク』という言葉が何度も耳に飛び込んできました。パソコンは自分好みに作れるほど詳しいのですが、ソフト面では遅れてたようで、いろいろ調べていくと、これは使えるんじゃないかと思い始めました。15年ほど一斉授業の形態で学習指導を行う中、理解力のない生徒での一斉授業の限界を感じ、個別指導に切り替え、理解する教材として体系的なものを作り、この教材もオンラインの指導でも使えるものだと実感しました。並行して志村けんさんがコロナに倒れたというニュースも入り、私も同じ年齢で、同時代を生きた彼の死にこのコロナの怖さを改めて思い知らされました。喫煙歴も彼と同じく50余年と、もしコロナにかかれば彼と同じ道をたどるなと思い、もうこの辺が潮時かなと思い始めるとともにオンライン指導に対する興味も湧いてきました。折しも、熊本に住む中3になる孫がいまして、実験台になってもらい、3月の終わりからオンライン指導が始まりました。

 1ヶ月の休講も終わり、4月の初めには残っている生徒にこの1ヶ月で高千穂の教室を閉じると告知し、退塾か、オンライン学習に切り替えるか、北方の我が家に通うか、三択を検討してもらい、7名の生徒が今我が家に通っています。地理的に高千穂に通うのも我が家に通うのも同じ(送り迎えで15分)だったことで、それほど無理な選択ではなかったようです。オンラインは私の方の準備も今ひとつですし、生徒の側ではネット環境を整えること(PCやプリンター等)がネックになったようです。

 新しい環境で、火曜・金曜は自宅の一室で生徒指導をし、他の曜日は孫のオンライン指導をしてこの5月~8月(2020)を過ごしてきました。孫の学力はと言いますと、論理的思考力は申し分なく、数学は指導する必要はないほどの力を持っていると思いますが、英語は中1のつまずきか、生まれつきの言語認識能力の低さか、最初は「えーーっ、お前中3か、これ中1で習っただろー」とつい言ってしまうほどひどいものでした。ただ、マンツーマンですから、英語センスを気長に養うという長期の展望で忍耐強くこの5ヶ月指導しています。元々論理力はありますから、文法的な部分は何の問題もなく理解しています。英作力はメキメキと力をつけてきました。

 その中で、オンライン指導でのメリット・デメリット、限界的なことも見えてきましたし、ホームページ作成のアウトラインも決まり始め、いよいよ【オンライン学習塾ーいっしんー】を始動させる時期が来ました。6月にいったんは収束に近いところまでいったコロナ騒動は、今また第1波の続きなのか第2波なのかわかりませんが、不気味な動きを見せています(7/6日現在)。隣県の鹿児島では60人以上のクラスターも発生し、ちょっとの油断が命取りになると再確認しています。

 私は先月70歳になったばかりのジジィです。ちっちゃい孫には「タバコのかたまりヤロー」などと悪態をつかれていますが、いまだに好奇心の塊みたいに人生を生きています。晴耕雨読でトマトやナスを育て、いまはプルーストの「失われた時を求めて第6巻」を読んでいます。気が向けばギターをつま弾き、夜は焼酎を3杯ほど呑み、ケーブルテレビで勝新太郎の「座頭市」を観て過ごしています。自分探しにインド・ネパールなど1年半ほど放浪した若い時期もあります。サルトルの「自由への道」ではないですが、組織・体制に属さず、この50年間自由に生きてきた人間です。このオンライン指導でひともうけしようなどとは思っていません。それはそれで指導向上の役には立つのでしょうが、もう私には関心がありません。今、大雨で、沢の水音も流れが速くて大きくなっています。この山あいで静かに余生を過ごしていますが、少しだけ若い世代の子供たちに微力ながら役に立てたらという思いだけです。オンラインも初めての試みですし、未知なるものへの楽しみも覚えます。それが私です。

 ここまでが、HPを立ち上げたときの文章ですが、半年以上過ぎても1件の問い合わせもありません。我が家に来ていた生徒も中学3年生がほとんどで、あと1週間で卒塾となります。新中2生が1人いまして、4月からオンラインで学習することになりました。熊本の孫(中3)も進学先が決まり、その下の弟が新中1となり、2人の指導もついこの間始めました。

 つまり、我が家でのダイレクトな学習は3月で終了しました。後は、気長に申し込みを待つだけ……、と思っていたのですが、少し積極的にPRしようと考えを変えました。全国的に知られるのには、グーグル検索のSEOに関する知識・スキルの欠如、ユーチューバーのような才能がない(持とうという気もない)私です。フェイスブック・ツイッター・インスタなどはマメさもなく、どうも私の性に合わない。そこで考えたのは、未だコロナ禍で、変異株の猛威に宮崎もさらされてきたようですし、地域を開拓しようということです。ちょっと前まではPCのない家庭も多く、全国でもPCの所有者は30%あるかないかで、使っている人もゲーム用ということでしたが、スマホが普及し、iPad使用者もかなり多くなっていることを考えれば、ネット環境のある宮崎のご家庭も多いのではと考えを変えました。そこで、ローカルの夕刊(県北が主)に広告を何回か出して、目にとまり、このホームページを見ていただく、ここに、次のステップがあるのではと思いました。これでもダメなら、気長に待つだけです。

 そして、今2022年、3月を迎えています。相変わらず申し込みがなく、中1、中2、高1の3名だけ指導しています。昨年の秋は2人不登校の生徒が申し込んできましたが、やはり無理なようで1ヶ月で退塾しました。2度と不登校の生徒は受け付けません。4月からは、屋久島に住む長男の孫が中1として参加する予定です。孫とのコミュニケートができることが私の楽しみとなっています。この3月にHPも手直しして、アップロードしようとすると、「サーバーが見つかりません」と出て、あわてて契約している「ケーブルメディアわいわい」に電話すると、昨年の6月でサーバーを停止したとのこと、連絡もなくいい加減極まりもない。仕方なく、有料のサーバーを契約し、URLも変わった次第です。

 ちなみに、今はNHKの「鎌倉殿の13人」に触発されて、吉川英治の「新・平家物語」を読んでいます。

 

 2023年になり、中学英語の教科書問題は、ようやくHorizonが終わりました。少しずつ、オンライン講座の準備が整い始めています。本の方は若い頃(24歳か25歳)読んだパスカルの「パンセ」の中の1文が今頃になってどうも気になり、もう一度読み返しています。

 また、YouTuberに挑戦しよう、と今着々と準備に取りかかっています。72歳を過ぎて、未だエネルギーは残っているようです。